めっちゃ高い自転車で京都市内をうろうろしたいなあ

2006年09月04日

BLOODY ROMANCE

眼下に広がる雲の透き間から波のうねりがキラキラと輝く蒼い海を見つめ、私は溜め息をついた。
伝説の娘はこの命を育む恵みの光を浴びることはないのだな…と思い、あの青年の瞳にこの輝きはどのように写っているのだろう…と、眼下の海に答えを求めるように、眩い蒼に目を細めた。

あの深い森の奥の不死者の領地の出来事から4日……。

快適な旅客機の旅とは裏腹に私の心は霧に包まれていた。
城の買い付けが不可能だった報告は部長の「無能!」の罵声と電話を叩きつける音で断ち切られた。
だが、彼は最初から知っていたのだ。
あの城の買い付けなど不可能だったということを。
ドイツの写真家の妄想と戯言を知った上で私に買い付け交渉を命じたのだ。
しかし…それが事実でしたなど…どう報告すればよいのだろう?

……ただ、その城下には伝説があってな……。

今から思えばニタリと笑った部長の目には悪意の輝きが見えていた。
目立ちたがり屋の社長を担いでこれから大きくなっていく会社で出世するために、私は邪魔者に映ったのだろう。
数々の机上の絵空事を実現して来た事が反って仇になったのだ。
この失敗で私は交渉能力を問われ、閑職に追い込まれるだろう。
その為に家族を失い、自分を見失い、そして最後の拠り所だった仕事の熱意さえ失おうとしている。

フライトアテンダントが優美な手つきで煎れてくれたコーヒーを啜りながら、ひょっとするとあの森の出来事はやはり夢なのではないかとの想いが過る。
現世に帰ってきた翌朝の朝刊にはアウトバーンで交通事故に遭って亡くなったドイツ人写真家夫婦の悲報が報じられていた。
ハーブ・リッツが友人の死を悼むコメントの上に鋼の塊と化したベンツの写真が掲載されている。
そこには亡骸が炭化していたのが納得できる事故現場の空間が切り取られて収められていた。

心の霧を払うようにポケットを弄り、あの日得た記憶の品を握り締める。
別れ際にアデルが思い出にとそっと手渡してくれた品、それは聖母マリアが描かれた大きなメダルであった。
1830年11月27日のパリの愛徳姉妹会の修道女見習であったカトリーヌ・ラブールは、槍で貫かれたキリストの聖なる心とともに浮かぶ聖母の啓示を受けた。
この奇跡を模したメダルを創るようにと。
カトリーヌの無垢な熱意はやがて大司教をも動かし、数百万個にも及ぶメダルが人々に希望を与えることとなった。
1859年に「無原罪の御宿り」と共にルルドにて奇跡の泉を掘り当てたベルナデッタもこの「奇跡のメダル」を終生身につけていた。
出会うことはなかったが「無原罪の御宿り」によって奇妙な縁を得た二人はやがて聖人として列福されることになる。

生命はめぐりあいによって生まれてくる。
絆は生命の紡ぎあいによって強固に結ばれてゆく。
ならばそれを結ぶ縁とはなんと尊い奇跡なのであろう。
生きてゆくこと……それだけで私達は奇跡の具現者となっているのだ。

メダルを握り締めたまま何時の間にか眠ってしまったらしい。
目覚めた時には窓の外はすっかり闇に覆われ、星の瞬きと人智の輝きの狭間に機影が滑り込もうとしていた。
滞りなく帰国の手続きを済ませ、誰もいない家に帰るかホテルに泊まるかを思案している最中に携帯電話が鳴った。
もう二度と聴きたくないと思っていた部長のくぐもった声が耳に纏わりついてきた。
「……君の近くにテレビは在るか?」
すぐそばの喫茶室の扉を開けると数名の客が液晶の画面に釘付けになっている。
見慣れた顔が画面の端に映り、騒がしい逮捕劇とテロップに一瞬目の前が眩んだ。

「……社長が逮捕?」

「そうだ」と上ずった声で部長が応えた。
そして改まった口調で私に懇願してきた。
「会社ではすでに顧客や株主からの問い合わせが殺到しているんだ。君も事態の収拾に力を貸して欲しい」
「……」
私の沈黙に部長は絶叫した。
「買い付けの件はすまなかった。頼む……。君の問題解決のコネクションがどうしても必要なんだ!」

私はもう一度メダルを取り出し、「無原罪の御宿り」の画を見つめながら応えた。
「……わかりました。これから真っ直ぐ本社に向います」
部長のすこしばかりの安堵のため息に続け様に言い放つ。
「ですが部長のためではありません。私自身のためにです」
電話を断ち切った後、タクシーを停めて行き先を告げる。

そして、あの時脳裏に染み渡ったカーマインの言葉を思い出していた。

……其方は其方の世界で衿持を保て……。

嘗てアリエッタの父は許すことの尊さを説いたという。
それは衿持を保って生きるものにしか出来ぬことなのだ。

人々の営みが放つ地上の光がフロントガラスを抜けて流れこんでくる。
それは五里霧中の人生の中で、衿持を取り戻した私を祝福している輝きのようであった。

<終劇>


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